零れ話
ポッと浮かんだ話を無責任に投下。
俺と彼女の思い出
今住んでいる町に移り住む前、大きな街に住んでいた頃、俺は彼女に会った。
彼女は覚えていないだろう。
数年ぶりに会った俺に、彼女ははじめましてと言った。
あの時より大人びた笑顔を浮かべて。
まだ10の年になったばかりの頃だった。
俺は家族を失った。
目の前で、俺の家族は死んでいった。
あの後の記憶はほとんどない。
気づいた時には、俺は街の孤児院にいた。
毎日自分に当てられた部屋から外を眺めていた。ぼんやりと、いつまでも。
ある日、窓の外に一輪の花が置かれている見つけた。
それから毎日、違う種類の花が一輪だけ、置かれていた。
どれほど経った頃だっただろうか。
それまで見るだけだった花を手に取ってぼんやりと眺める様になった。
暫くそうしていると、1人の小さな女の子が俺の所に来て、俺の持っている花に興味を示した。
いるか、と聞くと、少女は目を丸くして俺を見た後、力強く頷いた。
少女にそれを渡してやると、少女は頬を真っ赤に染めて笑った。
ありがとう、お兄ちゃん
少女の言葉に表情に心が震えた。
失った、家族を思い出した。
それから少しずつ、俺は一緒に住んでいる人たちと会話をするようになった。
その後も、変わらず窓には花が置かれ続けていた。
やがて、俺はみんなの中で笑うようになった。
俺が笑った日の夜、孤児院の院長先生が俺に話した。
失ったものを取り戻す事は出来ないけれど、新しく作りることは出来る。それは決して悪い事ではないんだよ。傷が癒えるまで、思う存分ここの家族に甘えると良い。そして何時かここを出て新しく作っていくんだ。君の家族を、愛する人を。
院長先生の言葉に、俺は泣いた。
大声で泣いて、すがった。
1人は寂しい。
1人残されて寂しかった。
でも、俺に新しい家族が出来た。
もう、1人ではなくなった。
次の日の朝。俺は花が窓辺に置かれる前に窓から外を見ていた。
気になったのだ。誰があの花を置いていたのか。
そして、大きな籠を持った1人の女の子がやって来た。
一輪の花を持って。
窓辺に立っている俺を見て、彼女は驚いた表情をした。
俺はなんだか居た堪れなくなって彼女から顔を逸らした。
何やっているんだ、と顔を窓の方に向けると彼女が直ぐ近くに来ていた。そして俺に向かって持ってきた花を差し出している。窓は閉まったままだった。
俺は慌てて窓を開けた。
彼女は無言で花を差し出したままだ。
俺も無言で彼女から花を受け取った。
すると、彼女は身を翻して走りだした。
俺は慌てて彼女に向かって叫んだ。
花を、ありがとう
彼女は足を止め、俺の方に身体を向けて、大きな声で言った。
もう、大丈夫だね
嬉しそうに満面の笑顔を浮かべ、彼女は去って行った。
それから、窓の外に一輪の花が置かれることがなくなった。
それから、俺は二輪の花を花瓶に入れて窓辺に置くようになった。
PR
忘れ去られるもの
床に落ちた本を拾い上げ開いていたページを閉じた。
その本の表紙を優しく撫でてから、それを持って彼は図書室の奥へと向かう。
その本の表紙を優しく撫でてから、それを持って彼は図書室の奥へと向かう。
図書室の奥にまで入り込む人などめったにいない。
そんな所にある本は、読まれる機会が少ない。
そんな所にある本は、読まれる機会が少ない。
まるで人が忘れてしまったかの様に。
人に忘れられていく書物。
それはまるで自分たちの様だと考え、笑いで顔を歪める。
一番奥まで来た彼は持ってきた本を一つの本棚に入れ、そこから去って行った。
一番奥まで来た彼は持ってきた本を一つの本棚に入れ、そこから去って行った。
無題
数多くの世界がある。
その中の物語。
昔1人の令嬢が姿を消した。
彼女は将来王妃となる身分のものだった。
優しく穏やかな彼女は多くの人々に好かれていたがため、彼女が姿を消したことに多くの人が悲しんだ。
それから20年後、1人の少女が現れる。
彼女は多くの騒動を巻き起こし、己すら知らなかった真実を知ることとなる。
-----
プリント整理してたらなんかあった。きっと授業中に思いついたことを書いたと思われる。
どんなことを思いついてこれを書いたのかさっぱり分からない。
もったいないのでとりあえず。
もとを書いた紙はゴミ箱へぽい。
どうでもいい暴露
今小説になろう様に投稿している「終わってから始まる、愛」ですが、
あれの時代背景、現実世界の中世ぐらいじゃないっすよ。
馬車という単語が最初に出ていますが、何も馬が車を引いてるわけじゃないんだな。
ね。
どうでもいい暴露でした。
32話投稿して、なんかむしゃくしゃしたから暴露してみた。
お粗末!!
言葉
言葉は、人が作りだしたものだ。
そして、その意味も。
差別用語、汚いといわれる言葉。
それらは人によって人に忌み嫌われる言葉として生まれ、または変化する。
人は言葉を使って何かを表現するとき、特に悪い方向への表現は気を付けて言葉を使わなければ。
本来は違う意味の言葉が、全く違う方向へ変化してしまう。
私はそれが恐ろしいことに思えた。
ゆとりという言葉が人を馬鹿にする言葉になてしまっているなと思って。
多くの人が頻繁に使ってしまうと、簡単に言葉の意味って変化して定着してしまうよねっつうことで。
これって酷い願いだよね。
私がいなくなっても、泣かないで
そう言って彼女は俺の前からいなくなった。
ある暑い夏の日だった。
大事な、俺を支えてくれる大きな柱だった彼女は病気によってこの世を去った。
運良く彼女の最後に立ち会えた俺に、残されたのは彼女の願いだった。
生前、彼女はある歌を良く聞いていた。
だけど、俺はその歌が嫌いだった。
大事な人を想って泣くことを、その大事な人に阻止される歌。
大事な人を思い出す依りしろのモノの前で、泣くなという歌。
それは、大きな存在である人を亡くした傷を癒すための、残された人の生きる手段を封じようとしているようで。
それを良く聞いていた彼女も、やはり俺へ残酷な言葉を残していった。
だから、俺は彼女の墓の前で泣けないでいる。
それが彼女の願いだから。
まあ、何を言いたいかというと、某有名な歌が嫌いだという事です。
ふと思ったこと。
選択肢が出てきて、どちらが良いか意見を求められたとき、好きな方をという答えは無責任である。自分の意見を持っていない、または考えない人と思われても仕方がないだろう。
意見を求められたら、答えるのが誠実であろう。
なんて思ってみたり。
ねむくなんてないぞ・・・・。
持論
好き嫌いが多い人は損をしている。
何故ならおいしく食べれるものが限られているし、おいしいと感じることのできるものが少ないということになるのではないだろうか。実際自分は苦手だった大根を今はおいしくたべることが出来るようになって、そのように感じた。
人が褒めてくれたことを否定するのは失礼だ。
謙遜は美徳とするのが日本人だが、人が褒めてくれたことを「いや、そんなことはない」と否定してしまうのはひどく失礼なことではないだろうか。何故ならその人が感じた事を否定しているわけであるし、せっかく自分の良いところを見つけて話してくれた人の好意を踏みにじっているのでは。その行為を偽善だと思う人もいるだろう。しかし、自分の気持ちを伝えてくれた人に対して酷い仕打ちなのではないだろうかと私は思う。
でも、実際に褒められると否定してしまうあたり、自分は嫌な人間なのだろうと思っている。
なんてことをつらつら考える今日この頃。
矛盾
「誰も知らない事を教えて欲しい」
誰も知らない事ということは教えてと言われている人も知らないい事でなければ、「誰も知らない」という条件に当てはまらない。
知らない事を教えるなんてこと、人間には出来ない。
言葉は少し違うだけで、意味が大きく変わる。
大変難しい。