零れ話
ポッと浮かんだ話を無責任に投下。
大地が落ちたあと 3
「うん。明日から、また賑やかになるね」
「そうだな」
少しの間2人は無言で遠くを見つめる。
先に口を開いたのはオルガだった。
「俺さ、今年は1人でさせてもらえる事になったんだ」
イファは目を見開き、オルガを見る。
オルガは照れつつもさっきよりも嬉しそうな顔をしている。驚きで少しの間呆然としていたことに気づいたイファは、慌ててオルガにおめでとうと言う。
「オルガも一人前として認められたんだね」
「一応な」
明後日にこの集落で飼育している羊たちの毛刈りが行われる予定だ。取れた羊毛は冬を越すための防寒具にもなり、貴重な収入源にもなる。集落の大事な生産物である羊毛を刈るのは大変な重労働だ。
羊毛は一枚の布の様になるようにきれいに刈らなければならない。そして時間がかかってしまえば、動きを封じられている事に羊はストレスを覚えてしまう。作業は丁寧かつ素早く行う必要がある。
この作業が出来ると認められるという事は、この集落では成人男性として認められるための1つの通過点となっている。
オルガは今年で15歳になる。
つい最近まで一緒に平原を駆け回って遊んでいた幼馴染の成長を感じ、イファは自分の中でしっかりと納まっていた大事なモノに隙間が出来てコロコロと不安定に動くようになってしまった様な、落ち着かない気持ちになった。
それがどういう思いから生じたのか分かる前に、イファは別の事に思考を向ける。
「オルガは、おじさんの後を継ぐんだよね」
「ああ、そのつもりだよ」
「あの山の向こうへは、行きたいと思わないの?」
じっとオルガを見つめる。
イファの表情はとても穏やかだ。だが、どこか寂しそうな印象を受ける。
「別に。今のところ都会に行かなきゃいけない用事なんてないし」
オルガは山々のほうを見つめながら答える。
興味が無さそうに答える彼の様子を見て、イファはほっと胸を撫で下ろした。
集落の若者の多くが都市に行く事に憧れを持っている。女性は憧れのままで終わることがほとんどだが、男性は出稼ぎに出る人たちがいるため女性より高い確率で集落を出ていく。イファの義兄が出稼ぎの成員に入った後、何人か引退し、集落に戻って来ていたが、新たに都市に出ていった者はいない。
そろそろ新しい成員を選出する話が出ているとイファは義父から聞いていた。 選ばれるのは成人した者。今年、一人前と認められるオルガも候補に挙がるだろう。だが、基本的には本人の意思が尊重されるので、ここで暮らす事を望むならば彼は選ばれないだろう。
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大地が落ちたあと 2
数十分後、集落に着くと羊たちを放牧用の柵の中に入れながら全部いるか数を数える。柵の中に入れてしまえば、後は時間になれば開いている入り口から勝手に隣接している小屋の中に入ってくれる。
全て柵の中に入れた後、しっかりと柵の入り口を閉める。外れない事を確認する。
道具を片付けている養父に作業が終わったことを告げると先に帰っているように言われた。イファは分かったと答えて、ゆっくりと集落の中を歩いていく。
太陽は既に高い位置を過ぎ、遠い山の向こうに向かって沈み始めている。日が山の向こうに落ちれば、夜が来る。今日の夕飯は何だろうかとほんの少し空腹を覚えながら、イファは真っ直ぐ家には帰らず集落の外れにある小高い丘に向かう。
そこから見える山々を越えた先に、多くの人が集まって住んでいる都市がある。人が集まれば、色々なものが集まる。この平原に住んでいては滅多に手に入らないものが沢山あるらしい。
この集落には一年の大半を平原から離れ、出稼ぎに出ている人たちが多くいる。彼らが語ってくれる話を聞いて、一度は都市へ行ってみたい、と憧れを持つ人は多い。養父母の実子であり、イファの義兄にあたる人も平原を離れ、傭兵として働いている。彼が帰省した時に彼から色々な話を聞くが、イファは集落を離れて都市に行きたいと思ったことはない。
ずっと平原で暮らしていたい。
遠く離れた土地へ行きたいと言う人の気持ちが、イファには理解できなかった。
「イファ、お疲れ様」
背後から聞こえてきた声に振り返る。少年が1人、丘を登ってきていた。
「オルガ」
「羊たちの様子はどう?」
「怪我をしている子はいないし、みんな体調が良いよ」
「そっか。イグルさんたちは予定通り明日の昼頃到着するってさ。今回はリューグも帰って来るし、良かったな」
嬉しそうに笑顔で言うオルグにつられ、イファも自然と顔に笑みが浮かぶ。
大地が落ちたあと 1
平原のずっと向こう、地面と空の間をぼんやりと眺めていたら、柔らかく温かいものが手に触れた。何だろうと下を見ると、羊が手と体の間に顔を入れようとしていた。少し手を上げて好きなようにさせてやる。
さらに体にすり寄って甘えてくる羊の毛をゆっくり撫でながら周りを見渡す。
「イファ、戻るぞ」
呼ばれてようやくイファは遠くを見ることをやめた。羊から手を離して歩き出す。
「はい、義父さん。みんな、帰るよ」
イファが声をかけると、まだ草を食べていた羊たちが顔を上げた。彼女が歩き出すと羊たちものそのそ彼女の後に続いて動き出す。
全ての羊たちが付いてきているか時々振り返って確認する。案の定立ち止まって草を食べ始めている羊を見つけ、口笛を吹いて注意を引く。置いて行くよ、と大きな声で呼びかければ少し急ぎ足で追いかけてくる。それを確認して再び前を向く。
穏やかな風が吹き抜けていく。イファは平原に吹く風が好きだ。幼い頃は険しい山岳地帯に住んでおり、山々の間から吹き抜ける風は冷たく強かった。それに比べると平原の風は穏やかだ。養父母の世話になるようになって環境の違いに大いに驚いたのを今でも鮮明に覚えている。
平原は優しい。日が出ている間は凍てつくような寒さもなく、地形による脅威もほとんど無い。
この土地はとても心地よいのだが、イファは違和感を感じていた。自分はここではない所にいるべきなのではないか。そんな考えが時折脳裏に浮かぶ。今の生活に不満は一切ない。集落の外れに倒れていた素性の知れない上に名前以外何も話さない子供を養父母は引き取って育ててくれた。集落の人々もよそ者のイファを受け入れてくれている。
自分の中の違和感に目をそらしてイファは養父の後に続く。
翼を隠す少女
広い大地が広がる平原
穏やかな風を受ける少女
ずっと遠くを見つめる瞳は
記憶に埋もれた何かを探す
少女は恐れている いつか来る日を
少女は知っている 翼を広げる時を
大地は空から海へと還り
翼を持つ者は空を捨てた
罪を忘れられない者は
大地を想い空に残った
起こしてはならない 昔の過ちを
繰り返してはならない 昔の過ちを
少女は遠く見つめる
優しい風を受け止めながら
ここではないどこかへ思いを馳せながら